おたくなんて畏れおおい

アニメ好きな人が「おたく」とは限らないのだよ。

鬱になる休日

嘘をつくより、他人の罪を暴くのが苦手だ。心が痛い。

以前はそれでも自分の尊厳を保っていられたのだけれど、

今は卑屈になってしまって、それが相手にも伝わってしまって、

本当に迷惑な性格になってしまった。

それならば、嘘をつくほうがずっといい。

嘘は悪いことだ。親からも、そう教わってきた。

それなのに、私は昔から嘘つきだ。

嘘をつきすぎて、罪悪感に重みがなくなってしまった。

相手の為に嘘をつくと書いたものの、そんな良い人な訳もなく、

自分の身を守るための嘘だ。よく使うのは、すっとぼけだ。

元々忘れっぽくボンヤリしているので、皆いつもの事だと思ってくれる。

でも嘘だ。そして今でも変わっていない。

 

出勤か休日か

すっかり寒くなって、衣替えをしなければなりません。

これをやってしまってれば、毎朝の支度がどれほど楽になることか!

たった2ケースをやっつけることが出来ないままでいる。

 

今日は休みだった。もしかしたら出勤日だったかもしれない。

休日の代わりに来週火曜が出勤になったとカレンダーに書き込んでいた。

間違いない。でも担当者が覚えているのかが怪しい。

この日の休みの理由は、担当者が私に指示を出せないという理由からだった。

もし担当者のスケジュールが変更になっていたら、私は通常勤務の日だ。

先日似たようなことがあった。

不安だったので前日確認メールをしたのだけれど、その返事が間違っていて、

確認の意味がなかったのだ。

何度も確認をして帰ってきたのだけれど、朝まで不安だった。

だからといって、皆に失笑されながら不要な出勤もしたくなかった。

いや、単純に仕事に行きたくなかった。

理由があるのに、なぜ行かねばならんのだ。

 

しかし、大量のメールと着信履歴を見て茫然とする夢を見て飛び起きた。

すぐにスマホを見たが、やはり夢だった。休日で間違いなかった。

つまらない休みは、鬱な考えを引き起こした。迷惑な神経で困る。

 

今の若い子は…凄い


はじめまして。
ツイッターのような短文で上手く伝えられないので、ブログ開設します。
普段は、アニメの話と、日常の鬱展開の思考を払拭するための場所です。
よろしくお願いします。

ツイッターの話をします。
向いてないと思いつつ、手を出してみました。
ツイッターの句読点無の短文で言いたいことを的確に書ける人は凄いです。


想像力に長けた若いエネルギーは魅力的でしたが、変なルールが沢山ありました。
楽しんでる人が無言なのも不気味です。発信した人へ気持ちに応えようとしない。
私は一人主義ですが、発信してくれる人への尊敬の念はもっています。
発信した人も反応があると嬉しいようです。そりゃあそうでしょう。
でも次第に怖くなるようです。おかげで距離感が全く掴めない。
難しいし、めんどくさいです。

それでも、一番感じたのは、最近の若い者は…「凄いなぁ!」です。
「大変だなぁ!!」とも思いました。

私の若いころにツイッターがあれば、おそらくバカッターになったでしょう。
少しの武勇伝をひけらかしたいと思ったこと、ありませんか?
以前は仲間内でギャハギャハ笑ってたツールがツイッターになってるのだとしたら。
自分の武勇伝が知らない人にも届くだとしたら。きっと私は使っていたでしょう。
大したことはしてないですよ。倫理に反する事もしてません。
ただ、バカなことはしてました。駅で野宿するとかね。それをカッコイイと思ってました。
一人で何でもやれるんだぜ、ひゃっはー!!と思ってました。

情報がないのが当たり前だったので、行き当たりばったりで行動してました。

一人がカッコイイと、根拠の無い自信に満ち溢れ、今まで生きていました。
自身の年齢を顧みて、ようやく何物でもないと知りました。

そして、途端に怖くなりました。
他人の評価を、他人の目を意識するようになりました。
比べられる恐怖から、卑屈になっていきました。
自分の自信に根拠がないと知ってから、身動きが取れなくなりました。

救いなのは、一人カッコイイ病が治ってないのに、はじめましてが得意な事です。
明るくて、しっかりした子に見られます。
でも、二度目ましては苦手です。はじめましてが好印象だっただけに、評価はガンガン落ちていきます。

そして、最悪に救いでないのは、その一人カッコイイ病が治ってない事です。
ハブられようが平気です。お昼ご飯まで一緒とか息苦しくて堪らない!
共有し合える人や自分を高めてくれる人としか交流したくありません。

結婚もしていますが、相手も一人が大好きな人なので卒業の機会を見失ったままです。
親からはルームシェアだと言われています。
年齢を重ねて見えるものは、自身の甘さばかりです。

ところが唐突に、今から虚像と現実の自分と向き合って生きていくのもいいかな、

と思い始めました。理由は分かりません。

最初に書きましたが、私は「今の若い人は凄い」と思っています。
「ゆとりはだめだ、使えない」なんて声を聞くと腹立たしくなります。

私は戦わずにここまで来ました。
いわゆる厨二病を卒業することなく、生きてきたのです。

若いころから戦ってきた彼らの嗅覚は、丸く冒険心は薄いけれど、発想は自由です。

素晴らしいと思いませんか?!私たちの作る未来に彼らは乗ってこないでしょう。
でも同じ時代を凄し、面白がって眺められるのは特権です。楽しんでいきましょうや。

それが私の今の考え方、そして立ち位置です。